中国5000年の歴史の証明である長江文明の源と讃えられる三星堆遺跡は中国南西地方で面積が最も広く2000年の歴史を持ち、今なお現存している古城・古蜀文化遺跡で、1929年に発見されてから50年代に発掘が始まり1963年にかつての三国時代の蜀国の城であることが認められた。この遺跡は四川省広漢市から西に11㎞ほど離れた三星村にあり、南に38㎞で成都、北に26㎞で徳陽市と都市に囲まれている。青銅時代の遺跡として博物館も建てられ、出土した農具や生活用品、玉器、陶器とそれぞれの製造場や古い城壁、住宅の遺跡は蜀国の都市であったことを証明しており、中国古代の五大商業都市の一つに数えられている。
2021年の3月20日、「考古中国」の考古学重大プロジェクトの進展を説明するイベントが四川省成都市で開催され、三星堆遺跡の祭祀エリアで新たに発見された文化財が次々と発表された。中央テレビニュースは4日連続でその様子を伝える特別生放送番組を放送し、ネットユーザー数千万人が視聴し、三星堆の注目度が高まり続けた。四川省広漢市にある三星堆遺跡で最近、6つの祭祀坑が発見され、大量の重要な文化財が出土したことが、改めて世界を驚かせている。全容解明にはまだしばらく時間がかかりそうだが、「古蜀文明」を追いかけたい人々の考古学熱を冷ますことはない。「考古学の世界を追い求めて旅をする」のが、今時の旅行の新たな注目点だ。
「考古中国」重大プロジェクト作業進展会は、三星堆遺跡の最新の考古学的発見と考古学研究の成果を発表した。考古学従事者が遺跡で新たに三星堆文化の「祭祀坑」6ヶ所を発見し、金の仮面のかけら、巨大な青銅仮面、青銅神樹、象牙などの重要文化財500点あまりが出土した。三星堆は「考古学界のトップトレンド」になり、今回「一新される」ことにより、一躍全国で最も注目される観光スポットになった。神秘的な古代文明の遺跡をその目で一目見たいと、大勢の観光客が三星堆を訪れている。
三星堆遺跡(今から4800年~2600年)は四川省徳陽市広漢市にあり、遺跡面積は12平方キロメートルで、1927年に初めて発見された。長江上流域文明の中心とされる三星堆遺跡が数千年の眠りから目を覚まし、考古学ファンを大いに驚かせた。1986年に1号と2号の「祭祀坑」を発見した。出土した金器、銅器、玉器、石器、骨器、陶器など1720件の文物。
三星堆遺跡及び博物館
三星堆遺跡は、成都市から30キロ離れた広漢市で発掘された遺跡。1986 年、四川省考古所の考古学家達が広漢県馬牧河側の三星堆で沢山の文物(青銅器、象牙、陶器、玉器など)を出土した。出土した文物が殆ど 3250 年前製造されたもので、特に青銅器などが皆を驚かす形を持っているし、それについての文字の記録もありませんので、全中国の考古家の注目を呼び寄せた。
最初に発見されたのは1931年だったが、学者たちの数十年の努力によって、現在遺跡の面積は12キロ平方メートル、そのうち古城城址の面積は3平方キロメートルと判断された。1986年には大量の金器、青銅器、玉器、陶器、象牙などの文物が発掘され、世界的な話題となった。この「三星堆遺跡」の出土品を公開するために、博物館が建てられ、出土品の一部は海外でも巡回展示されている。展示場面積は4000キロ平方メートルもあり、千点以上の展示物がある。
三星堆遺跡の発見によって、古蜀国の歴史が4800年前に遡ることができた。三星堆遺跡からは世界で最も早く、最も高い青銅神樹を含め、多数の国家級の文物が出土した。青銅神樹の像高(樹高)は384cmで、3階層になっている幹の各層に3枝ずつが張り出しており、それぞれの枝に1羽、全部で9羽の霊鳥が留まっている。枝先には果実がなり、樹の下層には頭を下に向けた1頭の龍が這っている。この巨大な神樹は中国伝説に記載された扶桑樹である可能性が非常に高いとされていいる。三星堆博物館に陳列されている青銅神樹は原物どおりに複製されたレプリカである。
国家級の文物である青銅製人物立像は高さ約260cmで、総重量180kgに達している。外の長い衣裳は燕尾服に似ており、両手を前へ伸ばし、何かを抱え持っていたと思われています。こんな高い青銅製人物像は商の時代で唯一な存在として、世界でも最も大きな青銅製人物像である。数多くの青銅製仮面の中に「千里眼、順風耳」という三つの文物は一番名を知られている。それらは巨大であるほか、奇妙に突き出した眼、獣のような大きな耳と耳のつけ根まで裂いた口を具えており、世界に類を見ない驚異と不思議が感じられる。仮面の口は微笑みをたたえており、神秘と親しみを感じる。