都江堰水利施設は成都から50㎞離れた都江堰市にあります。紀元前256年、秦の蜀郡の太守ー李氷が人々を組織して当時の技術力を最大限に活用し、幾度の難関を乗り越え8年がかりで完成させた総合的水利施設です。現在まで約2300年間にわたり防災灌漑水運の働きを擁する都江堰水利施設は「世界水利施設の元祖」として、中国の重要文化財、さらには世界文化遺産にも指定されています。これに基づき、関連のある遺跡を一括した都江堰周辺(青城山を含む)が国の重要な観光地になっています。都江堰水利プロジェクトのおかげで、成都平原は広くて肥沃な地域になって、中国西部は真珠のように輝いています。
成都平原は「天府の国」と呼ばれていますが、古代には実に旱魃や洪水も非常に頻繁な地域でした。岷江は長江の支流で、しかも水量がすごく豊富で、ちょうど四川盆地という中国西部の豊かな地域を経由し、典型的な地上川になりました。都江堰と成都の距離はわずか50キロメートルですが、しかし273メートルの驚くほどの高低差があります。古代には、岷江は洪水が発生したら、成都平原は果てしのない海原になって、旱魃(かんばつ:雨が降らないなどの理由で土壌が乾ききってしまい、農作物が育たない状況。)が発生したら、また不毛の地域になってしまいました。かつて揚子江の支流にあたる泯江中流の成都平野は、雨季になると泯江が氾濫し洪水が起こり、乾期になると灌漑用水の不足に陥り、周辺の人々は苦しめられてきました。これを知った秦の昭王が治水に精通する李氷を蜀国の太守に任命し、泯江の水害対策に取り組ませたのです。李氷とその息子は地元の人々の協力を得て、科学性と合理性を活かした当時として世界一流の都江堰水利施設の完成までたどり着く事が出来ました。このため、都江堰水利施設の恩恵を得た成都平野では農業が栄え、後の秦による中国統一にも大きな役割を果たしました。その後も都江堰は各王朝により大切に管理されてきました。都江堰水利施設が持つ歴史は非常に長く、今でも成都平野の田んぼの灌漑と水害防止に役立っています。