四川盆地の西のふちに伸びる雅安市は、標高の高いチベット高原と平らな成都平原の間の過渡地帯に属する。北部は邛崍山脈、二郎山脈、夾金山脈、大雪山脈など非常に高い山脈が連なり、最も高い地点は5,793mに達する。市域の北と西と南には青い高山が連なり、四本の川が市街地を貫いて流れる。市域内の主な河川は大渡河の支流の青衣江で、邛崍山脈の海抜4,930mの地点に発する宝興河を源流とし、宝興県の飛仙関で天全河および滎経河と合流して青衣江となる。雅安は古来より雨が多く、この地を評して「西蜀天漏」という言葉があった。また、俗に「雅無三日晴」(雅州に三日の晴れ無し)とも言われ、雨城という異名があった。中心市街地を管轄する「雨城区」の名はこれに由来する。
秦により蜀、巴国が滅ぼされ、新たに蜀郡、巴郡が新設された際、この地方は厳道県として蜀郡西部都尉の管轄下とされる。前漢時代において、徒県(現在の天全)、旄牛県(今の漢源)、青衣県(今の名山、芦山)がさらに新設される。これらは、一時期、沈黎郡に帰属するも、すぐに廃止され、蜀郡属国として一括統治されることとされた。後漢時代の122年、蜀属国都尉により、漢嘉県、厳道県、徙県、旄牛県が統治されることになる。後漢末期の184年、蜀郡属国が改名されて、漢嘉郡が新設された。しかし、4年後の188年、漢嘉郡は廃止され、再び、蜀郡属国が復活する。 そして、三国時代。劉備により蜀漢が建国された221年、蜀郡属国は再度、廃止され、再び漢嘉郡が設置された。その役所は漢嘉県城(今の芦山県)に開設された。蜀が滅亡し、晋の時代に漢嘉郡は廃止される。
雅安市は亜熱帯気候に属し、冬の厳寒はなく、夏の酷暑もなく、四季ははっきりと分かれ、雨量が非常に多く、無霜期が長いなどの特徴がある。春は暖かくなるのが早く、夏は気温が高く、秋は雨が多く、冬は霜が少ない。夜間の雨が年中を通して多く、霧の日は年中を通して少ない。特に気候の垂直差が大きく、四川盆地から青蔵高原(チベット高原)へとそそり立つ山の側面では、亜熱帯植物の生える山麓から温帯と冷帯の植物の山腹、亜寒帯や寒帯の植物の生息する山頂という垂直分布が見られる。山地は茶の栽培が盛んで、蒙山(蒙頂山)で採れる蒙頂茶は有名である。四川省の西部を周が征服して以来、この地で飲まれていた茶が漢族に紹介され、秦による蜀の征服で中国中に茶の習慣が広がった。蒙山では春秋戦国以来、茶の栽培が行われ、世界の茶文化や茶の人工的な栽培の発祥地である。雅安の古くからの名産には、雅安の魚、蒙頂茶、香谷米、花椒(カホクザンショウ)、黄蓮(オウレン)、外郎の石硯がある。また現代では、山地にある金属や石を採掘する鉱業、高低差があり急流の多い地形を利用した水力発電、化学工業や建材づくりも盛ん。
現在、南北朝時代から続く古城跡はすべて撤去されていしまっている。街の路地に少しばかりの名残が残る程度である。大北街、大南街、西大街、東大街、県前街、南正街、西門南路、順河街、城后路、新民街(新しく城外に拡大してきた居住区)。
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